乾季の暑さが厳しくなってくるカンボジアですが、雨が降ることもあります。雨季のような雨の降り方をするときもあります。今年の日本は暖冬だったとか。日本もカンボジアも異常気象ですね。
杉村 太郎(大阪教区 吹田教会)
—プテア・コマ建て替え計画—
2002年から始まったJLMMの「子どもの家(プテア・コマ)」の活動。2004年に現在の場所に移動して約2年。子どもの家は今や元の姿を留めていません。
例えば・・・
●小さな子どもの家はボロボロ。葉っぱの屋根は穴あき状態、太陽の光がそこから入り込み、暑くてとても座っていられない。柵は外れたのか、村人が薪代わりに使ったのか柵がない箇所が目立ち、コンクリートの床も凸凹。時期によっては子どもが多く、足の踏み場もなくなってしまう。
●大きな子どもの家は大家さんが家の建て替えをするので間借りしている場所から出なければならなくなった。
●小さな子どもの家の裏一画(ごみ収集を主な生活手段としている家族が特に多く住んでいる)は周囲より土地が低く、雨季になると雨が溜まり水上村になってしまう。雨が溜まらないように雨季までに何とかできないか。
上の3つの問題を解決すべく考えたのがプテア・コマ建て替え計画!!
(1)雨が溜まる土地一帯に土を盛って配水管を入れ、再整備
(2)広さを確保し、小さな子どもの家を新たに立て直す
(3)間借りから出て新たに大きな子どもの家を新設(?)

小さな子どもの家の土地を貸してくれているケオ先生の協力を得、土地の整備と周辺住民の移動(と言っても問題になるような強制移動ではなく、ケオ先生の土地内での移動)を行い、広さのある場所を確保しました。現在土地の整備がほとんど終わり、新しく建てるプテア・コマの図案を使って掛かる費用の見積もりを出してもらったところです。
一方、大きな子どもの家の場所を貸してくれている大家さんも、2月から小屋(プテア・コマの場所)の建て替えを始めると言うので、短期で土地を貸してくれる人のところを間借りして今は大きな子どもの家を開いています。
新しく建てるプテア・コマは今のサイズより大きくしようと考えています。パーティーなどのイベント時には子どもが入りきらなかったり、日本から来たお客さんが中に入れなかったりするからです。理由はそれだけではありません。子どもにとっても広さを確保した中で暴れまわって(?)欲しいと思うからです。
計画はまだまだ始まったばかり。雨季が始まる前(5月)には終わらせなければならないのでこれからが大変です。また土地の整備や建て替えなどになると利害関係が生じ、金銭面でもめることが予想されます。整備や建て替えに充てられる金額も余裕のある状態ではないので(むしろ厳しい状態)全ての面で慎重にやっていかなければならないため、精神的にも体力的にも余裕を持って取り組んでいきたいと思っています。
—包丁がプテア・コマに飛んで来た—
カンボジアのコミュニティーに限ったことではないけれど、コミュニティーには何かと問題が多い。その内の一つが夫婦喧嘩ではないでしょうか。例えば、朝からお酒を飲んで博打をやってそれを見た奥さんの小言に旦那さんが逆上して奥さんを叩いたり・・・というのはJLMMの入っている村でもよくあるそうです。カンボジアではどこにでもある風景だと言われています。
さて、新しく場所を借りて開いている大きな子どもの家の大家さんは、小さなお店をやっています(お菓子やジュース生活雑貨を売っている)。その隣にはビリヤード台が2台置いてあり、そのビリヤード場の隣が大きな子どもの家になっています。
さてさて、大きな子どもの家の向かいに住んでいるのは30代同士の夫婦。奥さんはごみ収集を仕事としています。旦那さんは勿論(?)、仕事もあまりせず、朝からお酒を飲んで博打をやってという典型的(?)なカンボジア旦那さん。(毎日ではありません。そういった日もあると言うことです。)よく喧嘩をしています。

ある日、突然奥さんが悲鳴を上げて家から飛び出して来て、大きな子どもの家へ飛び込んで来ました。旦那さんは奥さんを追いかけてきてビリヤード台を挟み向かい合う形に。そこで旦那さんは傍に落ちていた石の板を拾い上げ奥さん目掛けて・・・という状況でしたが、偶然(?!)にも私が奥さんの隣、つまり旦那さんの真向かいにいたので、さすがに旦那さんも投げませんでした。それと同時に村では信頼をされているお母さんが仲介に入ってきて難を逃れました。
そんな事件から数日後、またしても事件が・・・・。その日は、元「大きな子どもの家」の大家さんが、しきりに夫婦の家の前にやって来ては声を掛けていました。そんなことが繰り返されて数回目、奥さんが家から悲鳴を上げて飛び出し、大きな子どもの家に。そして追いかける旦那さんの片手には大きな中華包丁が(カンボジアでは一般家庭で使われている。)。丁度、その時間帯は子どもたちが勉強をしていた時間で子どもたちも一斉に驚き身をすくめました。前回同様、ビリヤード台越しに向かいあった旦那さんは、奥さん目掛けて手に持った包丁を投げつけました。子ども達からは悲鳴が上がり身を屈め、周りにいた私たち(私、先生たち)も一斉に身を屈めました。幸い、誰にも当たらずに済みましたが、あとで子どもが「タロー、怖いよぉ」と駆け寄ってきました。
包丁を投げつけた旦那さんは興奮状態で、まだ奥さんに襲い掛かろうとしていましたが、スタッフの制止により落ち着きを取り戻し、スタッフが旦那さんの話を聞いてくれました。奥さんはすっかり怯えきってしまい、村の中をウロウロしていました。
活動が終わり、スタッフが帰る用意をしている間、私は隠れてしまった奥さんのところに行き少し話をしました。「(旦那と)別れたいけれど、子どもが(3人)いるし、田舎はシェムリアップで遠いし、プノンペンには友達もいない。毎日毎日叩かれて、働きもせず、飲んでばっかりで・・・」と大泣きする奥さん。「また明日くるから。」としか言えず私はそこを後にしました。
泣いている奥さんをプノンペンに連れて行き、新しい環境を整えたり、望むなのなら田舎へ帰る切符を用意したり、離婚の手続きをしたり、もしかしたらいろいろな手助けが出来たかもしれない。それらの行為はさして難しいことではありません。でも、実際、私は何もできませんでした。なぜなら彼女の今後の人生を左右しかねない状況に手を出すことを私は恐れたのです。私には彼女のその後の人生に責任を持つことが出来ないと思ったからです。そこまでしてしまうにはあまりにもお互いの関係が希薄過ぎたのかもしれません。
包丁事件が起きて以降、今日までの間に事件は起きていないけれど、それは私たちが村にいる2時間だけの話。JLMMがいない残りの22時間は村の中で、各家庭の中でどんなことが起きているのかは全く分からないのです。今後こういった家庭問題が持ち上がってきたときに自分はどのように対応をしていけばいいのかを考えさせられました。
石板投げ未遂事件の直後、帰り際の私のところに旦那さんが「タロー、ソーリー」と声をかけてきました。包丁投げ事件の直後も「タロー、ソーリー。ピードンハウイ(2回目だね)・・・」と謝ってきました。「奥さんに暴力を振ることは良くない。お酒を飲むことは悪いことではないけれど、飲みすぎて暴力を振るうことは悪いことだ。これからは気をつけないといけない。」と答えました。自分がしたことを分かっているのに、変化が見られないのは旦那さんに問題があるのか、それともカンボジア人がそういうものなのかだと思います。しかし、こういった現状はきっとカンボジアだけではなく日本にもあるのではないでしょうか。

