ミッション No.107 2005年8月31日発行
表紙の写真:タイ・カンボジア・ミクロネシアの子どもたち
特集:戦後60周年を迎えて 各派遣国から平和のメッセージ ●平和への挨拶 ●広島とのかかわりの中で ●クイッティアオ(麺)がもたらした平和 ●8月15日 被昇天の日に ●これ以上、飢えに苦しむ人々を作り出さないで!
●〜広島とのかかわりの中で〜
2004 年度カンボジア派遣 大阪教区吹田教会 杉村太郎
大阪教区所属の私は2003 年まで11 年間、青少年委員会の中高生対象の広島巡礼に参加してきました。内容としては平和行進(平和公園からカテドラルまで歌を唄いながら歩く) ・平和祈願ミサ(カテドラルにて) ・平和記念式典参加、ピースウォーク、テーマに合わせた学習などです。小学校を卒業すると平和学習の機会はほとんどない現代、この広島巡礼はとても大きな意味があると考えてきました。 広島巡礼は8月6日をまたいで行われます。そこに意義があるからです。「どこに原爆が落ちたのか」「何故そこに落ちたのか」それらを自分の目で見、体で感じて初めて知るのだと思います。しかしながら11 年間、広島に行ったからといって「平和とは何か、広島とは何か」と語れる訳ではありません。広島巡礼の趣旨は広島を通して「平和」について考えるところにあるからです。 スタッフとして参加した私はよく参加者に聞かれました。「平和って何?」「私たちに出来ることって何?」「関心を持ち続けることじゃないかな」と応えてきました。
ステンミエンチャイの子どもたちと
当時を知る人が少なくなり広島でも被爆者体験を聞けるのもあと数年だといわれています。確実に当時を知る人がいなくなった時、私たちはどのようにして、「広島・長崎・原爆・戦争」を考えていけばいいのか。私たち戦争を知らない世代の人間にはそれらを考える義務が与えられているように思います。 戦後60 年という節目で、平和を考えようという一時の盛り上がりで終わってしまうよりも常に関心を持ち続けることの方が大切な気がします。 愛の反対は無関心だという。「広島・長崎・戦争・原爆」について考えない、知らないこともまた罪なのだ。