ミッション No.107 2005年8月31日発行
表紙の写真:タイ・カンボジア・ミクロネシアの子どもたち
特集:戦後60周年を迎えて 各派遣国から平和のメッセージ ●平和への挨拶 ●広島とのかかわりの中で ●クイッティアオ(麺)がもたらした平和 ●8月15日 被昇天の日に ●これ以上、飢えに苦しむ人々を作り出さないで!
マサコさんは、ミクロネシア連邦・チューク州において、日本統治時代の 生き証人であるミクロネシアの人々から当時の様子を聞き取り、 平和のメッセージを伝えていこうとしています。
福岡教区戸畑教会 マサコ
今年は第2次世界大戦終戦 60 年ということでマスコミが大きく取り上げていました。 1948 年8月、アメリカ軍B 29 によって広島と長崎に人類最初の原子爆弾が投下され、言語に絶する犠牲をはらった後、日本政府は戦争を終わらせました。 終戦60 年を迎えた今年の6月27 日・28 日に天皇、皇后両陛下が太平洋戦争の激戦地となったサイパンに、戦争で犠牲になられた方の鎮魂の旅に行かれました。慰霊碑、ばんざいクリフ、沖縄の塔、韓国記念塔等を回られ深々と頭を下げられている両陛下を拝見して、いろいろな思いが交差しました。テレビ、新聞で両陛下のお姿を拝見した日本や韓国、中国の方々はどんな思いで見ていたのでしょうか。 私は今年ほど戦争や終戦記念日を意識した年は今までにありませんでした。それは私が日本カトリック信徒宣教者会よりミクロネシア連邦チューク州(トラック諸島) に派遣されたことにあります。 日本は1914 年より南北太平洋の島々(マリアナ群島、カロリン群島、マーシャル群島) をドイツより無血でゆずり受け統治していました。1941 年12 月の日本海軍のハワイ真珠湾攻撃を皮切りに太平洋戦争が始まりました。私が派遣されたチューク州(トラック諸島) には日本海軍の主要基地がありました。その為にチュークの人々は日本とアメリカ、連合軍との戦争で人的、物的に多くの犠牲を強いられました。今回、派遣地チュークで戦争を体験されたお年寄りに戦争当時のお話を伺ったことが、戦争や平和に対して改めて深く考える機会となりました。 戦争は利益と権利の奪い合い、究極の外交手段と聞いたことがあります。今、世界のあらゆる国、地域の争いごとは、すべてが利益と権利の奪い合いのような気がします。外交手段として人を殺しあい自然を破壊することがあってよいものでしょうか。外交手段ならばお互いが理解できるまで、話し合いを続けることが必要だと思います。
インタビュー中のマサコさん
そして戦争をしている人の一部だとは思いますが、自分の人間性をも破壊させることもあるようです。極限にたたされたとき人間は人の心を見失うことが生じ、自分でも考えられない残虐な行為にはしることもあるようです。インタビューをさせていただいたチュークのお年寄りとの話の中で、「兵隊さんのある人は戦争が始まる前は良い人だったけど、戦争が始まったら悪い人になった。」と聞いたことがあります。 戦争のとき残虐な行為をした人は生きて戦地から帰った時、その当時のことを忘れることが出来るのでしょうか。もし忘れることが出来ないのならば、重い十字架を背負い生き続けなければならないのでしょう。これもまた悲しいことです。 インタビューのとき、ニマスさん(75 歳) がイラクとアメリカの戦争のことを、 「どうして戦争をするんだろうねえ」 「人がいっぱい死んでいるではないか」 「みんな苦しんで心も荒んでしまう」 「どうして戦争をするんだろうねえ」 と言っていました。 この言葉は単純な言葉のようですが、とても深い意味を感じます。 戦争で苦しむ人がないように、また、平和である尊さをミクロネシア連邦チューク州でインタビューを通して深く心に刻むことが出来ました。これからの私の役割として、平和の尊さを伝えていきたいと思います。 最後に前教皇ヨハネ・パウロ2世が1981 年2月25 日広島の平和公園から全世界に向けて「平和アピール」を宣言なさいました。その中の一部をご紹介します。 「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。」 「人類は自滅すべく定められているものではありません。 「イデオロギーや国益や経済的要求などの衝突は戦争や暴力的手段以外の方法で解決できますし、またそうせねばなりません。人間であればお互いの相違点や紛争を解決するのは当然です。」 「人間が、決して、争う体制間の闘争の犠牲者になることのないようにしようではありませんか。決してこれ以上、二度と戦争を許さないようにしようではありませんか。」