※この記事は、高校生のスタディツアー参加者の感想です。
私が出会ったカンボジア
「私が出会ったカンボジア」というテーマで、一番初めに頭に浮かんでくることは、「笑顔」です。しかし、僕たちの日常にある「笑顔」を感じたわけではありません。僕が感じた「笑顔」は、苦しい状況の中でも笑っている姿への圧倒的憧れです。カンボジアで最初に子供たちと触れ合った場所であるステンミエンチャイで、僕はあの子供たちの屈託のない笑顔に恐怖を感じていました。なぜあんなに笑顔でいられるのか、なぜあんなにもキラキラした目をして僕たちと触れ合ってくれるのかといった疑問で頭がいっぱいでした。初めのうちはその訳が分からず、素直に子供たちと触れ合うことができませんでした。しかし、水上村の子供たちと触れ合ったことで、子供たちの笑顔の理由がわかった気がします。僕は今を生きることに精一杯な貧しい環境の中で、笑顔が生まれることはないと勘違いをしていました。しかし、笑うことに貧富は関係ないということを教えてもらいました。笑うことは、仲間や愛があれば湧き上がってくるということを教えてもらいました。今回のツアーに参加するということを通して僕自身も同じことを体験もしました。僕の中でマイナスのイメージが強かったカンボジアという未知の領域に一歩を踏み出すのも、仲間がいたからこそできたことでした。また言葉が通じない関係であっても、お互いへの配慮という愛があったからこそ、子供たちや学生たちと笑うことができたのだと思います。
次に、頭にも思いつくことは「いままでの自分の愚かさ」です。カンボジアに行くまでの自分の生活は情けない状態でした。やるべきことをやらず、何においても無気力で、その場しのぎの努力しかしてきませんでした。しかしカンボジアに行った後に、自分の生活を見つめてみると、自分が恥ずかしくなりました。確かに、僕がイメージしていた通りカンボジアの人たちは、明日生きていられるかわからない不安とともに、今日を精一杯生きています。イメージしたいたとはいえ、実際にその状況を見てみると、自分のやっていることがいかに愚かなことかということに気づかされました。貧しい環境で暮らしている人すら一生懸命になって生きているのに、僕たちが一生懸命にならないでどうするのだと思わされました。僕はこの考えをこれからの生活に取り入れて、変わっていこうと思います。
また、僕の中の考えで変わったことがあります。カンボジアに行くまでの僕は、僕という存在がなくても社会は回り続けるので、自分の存在は社会になにも影響を及ぼさないものだと考えていました。しかし、それはそうではないと教えてもらいました。僕たち、一人一人が社会に及ぼす力というのは、本当に小さなものなのだと思います。だからと言って、自分は必要のない存在だと決めつけるのではなくて、JLMMの方々の活動のように、未来に自分を残すということが、大切なのだと考えを変えさせられました。
いろいろと書いてきましたが、カンボジアの経験を通して僕が変化したことを簡潔にいうのであれば、「ネガティブな考え方からポジティブな考え方に変わった」です。こうして振り返ってみると、「私が出会ったカンボジア」というテーマにおいて、僕が出会ったものというのは、僕自身だったのかもしれません。(R.O)